舟下り船頭の挑戦
■渓谷の現実
かつて地域の人々が紅葉を植え、秋には錦に染まる景勝地だった鵞流峡(がりゅうきょう)。
川を見下ろす場所には温泉宿があり地元民にも観光客にも愛される場所でした。
しかし昭和36年に天竜川の大規模な氾濫があり、残念ながら温泉宿は流されてしまいます。
【鵞流峡「湯の瀬」にあった温泉宿の貴重な記録写真】
宿の裏手に生えていた孟宗竹(もうそうちく)の竹林から営業時には筍を収穫していましたが、災害後に渓谷に人の手が入らなくなると、竹林はあっという間に広がり始めました。
人が離れていくことで、もともと生えていた淡竹(はちく)や真竹(まだけ)も勢力を増し、やがて紅葉などの広葉樹が駆逐されていきました。
四季折々の彩りを楽しめたはずの渓谷は一年中、竹の緑色が覆いかぶさって季節感が無くなり、竹林沿いの道路は暗い日陰となってしまったのです。
【「湯の瀬」温泉宿跡を覆いつくした竹林】
広がった竹林による被害はそれだけではありませんでした。
道路脇が暗くなったことで、ゴミのポイ捨てや不法投棄が後を絶たなくなったのです。
一般ゴミはもちろん、明らかに産業廃棄物や廃車のオートバイなど大型のゴミも急峻な渓谷の斜面に投棄されるようになりました。
■舟下り船頭の悩みと想い
飯田市天竜川の観光地として、伝統的な手漕ぎの和舟で川下りを楽しむ場でもある鵞流峡。
流れが急な箇所があり景色もスリルも楽しめる人気コンテンツです。
しかし、お客さんの目からゴミや廃棄物を隠すことはできません。
そして竹林が茂るにつれて、秋の紅葉を楽しんでもらうことも難しくなってきました。
和舟の船頭さんたちは、そんな渓谷の中で観光業を行っていました。
日々の仕事の場が暗く荒れていく。
いくらゴミ拾いをしても完全にいたちごっこだし、大きなゴミや危険物は自分たちで運び出すこともままならない。
そもそもどうしてゴミを捨てられるのか。
渓谷の上にある道路がもっと明るくなれば、ゴミを捨てる人は減るのではないか。
自分たちが竹林を整備していけば、やがて渓谷美を取り戻せるかもしれない。
まずはできることからはじめよう。
こうして、ノコギリを片手に船頭の有志が集まり、鵞流峡の急な崖に茂る竹林に向かっていったのでした。
【有志の船頭グループ】
■川のプロができること「竹いかだ」
伐り出した竹を舟で港に運ぶ作業が続きました。
渓谷が徐々に明るくなっていきますが、竹材置き場には積みあがった竹の山。
せっかく伐り出した竹を、何かもっと楽しいことに使えないのか!?
そこで船頭さんたちが思い出したのは天竜川の歴史でした。
かつて信州の優れた丸太材を遠州へ運び出す手段として筏(いかだ)が使われていました。
丸太を竹に変えて現代に筏を甦らせたら!
しかも「筏」という字は「竹を伐る」と書く!
船頭さんたちは日中の観光業務が終わると、竹を組んで竹いかだの試作を開始しました。
【試作を重ねる日々】
■竹いかだが脚光を浴びるまで
徐々に試作が出来上がってきたら、次は操船です。
船頭さんたちはもともと手漕ぎ舟のプロ集団ですが、竹いかだを操るのは非常に難易度が高くてスリル満点。
夕方になると竹いかだで川を下って練習を重ねていくうちに、地域の人々がうわさを始めました。
「舟下り船頭が何やら見慣れないものに乗っている???あれは何???」
竹林整備のこと、鵞流峡のことをもっと知ってもらうには、竹いかだという最高に楽しいアクティビティに興味を持ってもらえばいいのではないか!
そこで「天竜いかだ祭り」のイベントを企画して、天竜川沿いで開かれる花火大会に竹いかだで乗り込んでいったのでした。
観客たちは大喝采!
メディアでも取り上げられて、活動が一気に注目されることとなりました。